久々に
久しぶりにくるみになってみる。
戸籍上の名前で生きる現実と離れたところに別の人格があるのは悪くない。
シャカイジンになって、SMクラブを辞めてから、久しく本名の一重生活だったけど、きっとくるみはまだ死んでいない。
”くるみ”を形成していた大きな柱の一本だった苦しい愛情は、いつのまにか消えた。
あんなに苦しくて死にそうで、絶対にこの状態から脱却することなど無理だと思っていたのに、あっけないものだ。
あの苦しかった思いは、私を大人にしただろうか。
大人になったくるみは、もうあの”くるみ”ではないかもしれない。
毎日「彼」のそばで、何食わぬ顔で日常生活を送っている。
「彼」は自分が生み出した”くるみ”を知らない。
「彼」は長い時間をかけて”くるみ”に布をかけたから、会えずじまいだった。
くるみのしっぽくらいは、感じたかもしれないけど。
あの壮絶だった時期を見なかったのは、彼にとっては損失かもしれない。
一人の人間をそこまで変える力があなたにはあったのだと、教えてあげたい。
今となっては、気のいい隣人としか思えないから、口が裂けてもそんなこと言わないけど。
とすれば”くるみ”はやはり死んだのだろうか。